INICIAR SESIÓN一度わたしの収録を見学した我が姉妹たちはすっかりはまってしまったのか、以降暇があれば必ず見に来るのが当たり前になった。
わたしも配信を始めてから家族と過ごす時間が減ってしまっていたのを気にしていたので、ずっとそばにいてくれてその後感想なんかも言ってくれるし、みんなとのコミュニケーションが取れるようになって大歓迎だ。
ただ、見学の条件として宿題や課題を必ず済ませることという条件を付けたので、高校や中学の宿題と違ってより分量のある専門学校の課題をこなさないといけないより姉は時間のかかる課題の時は泣く泣く部屋にこもっている。
そんな中で一番熱心に見学に参加しているのがかの姉。
映像編集に興味があるみたいで、わたしが編集しているのを見ているだけでなく独学でいろいろ勉強していたようで最初はいろいろとアドバイスをしてくれたりしていたが、そのうち編集を肩代わりしてくれるようになっていった。
それがまたわたしの編集するものよりも出来栄えが良かったりするもんだから、そのへんのセンスがわたしではかの姉にはおよばないんだろう。
ま、なんでもかんでも自分で完璧にできるわけでもないから、得意な人が手伝ってくれるならその好意には喜んで甘えておくことにしよう。
視聴者からも【最近編集がうまくなったけど誰かに手伝ってもらうようになった?】って聞かれるんだけど、わたしの技能が向上したとは思ってくれないのね。
今までのわたしの編集ってそんなにひどかったのかな……。やっぱり物事を美しく見せることに関しては女性の方が優れているのかもしれない。普段からの美意識の違いとでも言うべきか。
そうやってわたしの動画の質も上がっていき、生配信のやり方にも慣れてきたせいかチャンネルを創設して2か月もたち、梅雨の季節に入るころには登録者が10万人を超えた。
当面の目標は100万人だからその10分の1とは言え、短期間でここまで増えたのは十分に快挙と言えるし嬉しい。
10万人が一カ所に集まったらどれくらいの規模になるかなんてなかなか想像も難しいくらいの数字だ。
Vtuberの個人勢でここまで勢いよく登録者が増えていくのは珍しいようで、10万人突破記念の生配信のときにキリママを始めいろんな人からお祝いと感嘆の言葉をいただくことができた。人気が出るということはわたしの歌とダンスが認められているということでそのことが何よりも嬉しい。
それに芸能界にいたころよりも配信活動をしている今の方がたくさんの人々に支えられて活動をすることができているんだと実感できて、その人たちからの祝福もとてもありがたい。
最初期から応援してくれているこの人たちのおかげでさして苦労することなく収益化を達成することもできた。この人たちの応援が土台にあっての10万人だと思えば感謝しかない。
【これだけの歌唱力とダンスだし10万人はまぁ当然ともいえるな。おめでとう!】【おめでとう!だけどワイ的にはもっと早く達成していてもおかしくなかったまである】【企業勢だったらもっと伸びがすごい人とかいたりするけど個人であっさり10万人とは大したもんだよ】祝福の声とともにもっと人気が出てもいいはずという意見も多数あり、心から応援してくれているという気持ちが伝わってきてすごく励まされる。
確かに子役の頃は何もしなくても人気が一気に爆発したから企業のプロモーション力というのはバカにできないものなんだろう。
でも、わたしはもうあの汚い世界に戻ることはできれば避けたい。
わたしの人気とお金だけに用がある大人たちの薄っぺらくて不自然な笑顔と心にもないあからさまなご機嫌取りやおべっかに囲まれて最悪の居心地だったあの世界を一度経験してしまえば、よっぽどの理由でもない限り誰が好き好んであの世界に戻りたいと思うものか。
あの頃に比べたらこうやってわたしの事を大切にしてくれる人たちに応援の言葉や祝福、賞賛をリアルにもらうことができて、それに対して直接お礼を言える今の環境の方が心を通わせられているようでどれだけ幸せな事かとしみじみ感じてしまう。
「みんなありがとうね。わたしはもちろんもっと上を目指して地道に活動していくよ。そのうち誰もが認めるような大ヒット曲をバンバン作って世界に届けてみせるよ!」
【さすがゆきちゃん、視野はもう世界に広がってるのね】【でもそれが納得できるだけのパフォーマンスを持ってる】【どれだけ有名になってもわたし達が応援するゆきちゃんは変わらないけどね】こうやって変わらず支えてくれるファンが励ましてくれるというのは本当にありがたい。
「どんなに有名になっても最初からこうやって支えてくれてるみんなの事はいつまでも大切にするからね!」
【ゆきちゃん本当にみんなの名前覚えてるもんね】一度でもコメントをくれた人の事をわたしはみんな覚えている。
「せっかく応援してくれているファンの人のことは極力覚えておきたいからね。特に初期の人たちは完璧に覚えてるよ!」
本当は初期だけじゃなくてみんなの事を覚えてるんだけど、やっぱり最初から応援してくれている人はどうしても特別扱いしてしまうのは仕方ない。
「次は20万人突破でまた記念配信しようかな。夏本番前に達成出来たらいいな」
【伸びもよくなってるし20万はすぐだろ】【100万人もそんなにかからないんじゃね?】なんていう楽観的な意見もいただけるけど。
「さすがにそこまで甘くは考えてないよ~。もっと自分を磨いていろんなところで存在感を増していかないと今の伸びも鈍ってくると思うし」
【その謙虚さもゆきちゃんらしい】【かわいい】【でももう今までけっこうな曲数を聞いてきたけどゆきちゃんの歌声には毎回驚く】【そう!声帯何個あるんだってくらい声質変わるんだよね】【違う人が歌ってるんじゃないかと思うくらいだ】いろんな勉強や特訓をしている時期に声帯の開き方を工夫して声質を変えて歌う方法もいろいろ試行錯誤してきた、その成果だ。
「がんばっていろいろ研究してきたから声には少し自信があるよ~!普通の歌い方だけじゃなくてどうやったら可愛くなるかとかかっこよくなるかなんてことをたくさん特訓してきたからね」
【その探求心はさすが】【本当に歌が好きなんだね】【音域も広いもんね】子役を引退してから一度挫折しかけたけど、諦めずに続けてきてよかったと思える。
「音域は長年のボイトレのおかげかな。地声裏声はもちろん、ヘッドボイス、ハイトーン、ホイッスルボイスまで出るようになったからね!低音域はちょっと弱いのが悩みどころなんだけどね」
【いや十分だろ】【人間楽器でも目指すのかw】いや楽器て。
「でも低音でかっこよく歌う女性シンガーとか憧れるんだよね。声変わりしないし地声がこんなんだから今更男性シンガーのような歌声は目指してないけど、低音ボイスとかしゃがれ声なんていいなーと思うもん」
【全部制覇したら無敵】【今でも十分だけどね】【動画が投稿されると毎回どんな歌声が聴こえてくるか楽しみ】なんていうお褒めのコメントの中に【何か新しい企画でもしたら爆発的にリスナー増えるだろうな】というのが見えた。
何かすればもっと伸びるかもという意見はもっともで、今はまだいいけど登録者数が増えると伸び率も鈍化してくるのでここらで何かテコ入れをしたいところだ。
「新しい企画かぁ。わたしの他の特技と言えば料理とかあるけど、クッキング動画ってけっこうあふれてるよね」
そう簡単にいいアイデアが出てくるほどわたしの頭脳も都合よくはできていない。
【ゆきちゃんの手料理は見るより食べたい】【どんなのを作るか見てみたい気もするけど】わたしの料理は特別な人しか食べられないんだよ。特別な人って言っても家族だけど。
【そろそろ誰かとコラボとかしてもいいんじゃない?】なるほど、もっと早く気づくべき手があった。
今まで1人でやっていても楽しすぎて人の力を借りるという基本的な戦略を失念していた。
「わたしとコラボしたいって言ってくれる人なんているのかな。わたしは歌が専門だから誰でもいいってわけでもないしね」
Vtuberは星の数ほどいるけど、その中でわたしと共通したジャンルで活躍している人はどれだけいるのだろうか。【ゆきちゃんは誰かこの人とコラボしてみたい人とかはいないの?】と聞かれると思い当たる人は1人いる。
「この人と歌いたいなって人はいるけど、駆け出しのわたしとは登録者数が違いすぎて、こんな新人とコラボなんてしても向こうに何のメリットもないんだよね。すごく歌がうまくて憧れてる人なんだけどね」
【それって誰の事?】そりゃ聞きたくなるよね。でも憧れている人の名前を言うのってなんか照れるな。
「みんな知ってる人だと思うけど彩坂きらりさん」
登録者数180万人を超える大人気Vtuberだからわたしのチャンネルに来るような音楽好きで知らないって人の方が珍しい。
【企業勢かぁ】【難しいかもね】みんなの言う通り、企業勢と言うのは企業がバックアップしてくれる代わりにいろいろと制限があって個人勢みたく自由にコラボしたリは難しい。
特に身バレにつながりそうなことに関してはとても厳しいらしい。そのへんのセキュリティ意識が比較的低い人の多い個人勢とコラボするのはリスクがあるからだろう。
【彩坂きらり:わたしもゆきちゃんとコラボしたいです】唐突に打ち込まれたコメント。
「え?」
【本人?】【マジでか】わたしの疑問をコメントが代弁してくれた。
【彩坂きらり:もちろん本人ですよ。証拠お見せしますね】すぐにURLが貼られ、クリックしてみるときらりさんの公式SNSの画像でまさに今この時点のやりとりが投稿されている。間違いなく本人だ。
「え~~~~~~~!?」
今まではわたしがリスナーを驚かせてばかりだったのに初めてわたしが驚かされてしまい、ちゃんとした日本語が出てこない。
「きらりさんがこんな新米の動画を見てくれてたんですか!いや、それよりきらりさん企業勢なのに勝手にコラボOKしちゃって大丈夫なんですか!?」
【彩坂きらり:わたしも最初の方からゆきさんの歌声に魅了された1人ですよ】【やっぱゆきちゃんすごい】【トップグループの人にも認められるなんて】というコメントが並ぶ。
「ふにゃ~……。ヤバイめっちゃ嬉しい……」
感極まって思わず変な声が漏れてしまった。どうしても表情が緩んでしまう。
【彩坂きらり:コラボの件ですけど、わたしくらい会社に貢献してるとある程度のワガママは通るので問題ないと思いますよ】さすが大人気Vtuber。
「本当に大丈夫ならこちらこそ是非お願いしたいです!うそ~これ本当に現実だよね?ドッキリとかじゃないよね?」
【落ち着けw】【今ほっぺつねってみたがしっかり痛いぞ】あなたがつねっても意味ないでしょ。【彩坂きらり:ドッキリなんかじゃないですよw詳細はゆきさんのSNSにメッセージ送りますので】試しにほっぺをつねってみた。
痛い。
夢じゃない、現実だ~!
「はい!メッセージお待ちしてます!ほんと今でも信じられない。今晩眠れるかなぁ」
【彩坂きらり:きっとゆきさんよりもわたしの方が楽しみな気持ちは大きいですよ。ゆきさんの歌声に心酔してますから】きらりさんがそこまで楽しみにしてくれてるなんて……。
【よかったね、ゆきちゃん】【初コラボにいきなり大物だ】【さすが我らがゆき氏】他のみんなからも祝福と賞賛の声が多数寄せられて10万人記念動画はわたしにとって思わぬサプライズとなった。
配信が終わってSNSをチェックしてみると本当に個人メッセージが届いていてドッキリという可能性も消えた。
メッセージにはきらりさん個人の連絡先も記載されていてドキドキ。展開が急すぎてちょっと戸惑うけど憧れの人とつながれたということに感動。
配信終了したらメッセージではなく電話連絡が欲しいとのことだったのでさっそく教えてもらった連絡先にかけてみる。
1コールもしないうちにつながってビックリ。ずっと待っていてくれたのかな?
『ゆきさんですよね?きらりです。さっそくかけてきてくれてありがとうございます。こうやって直接連絡できるなんて感激です!』
あのきらりさんが興奮気味の声で話している。本当に楽しみにしてくれていたようで嬉しい。
『はい、ゆきです。わたしの方こそこうやってきらりさんと直接お話しできて光栄です。あとわたしの方が年下なので敬語はいらないですよ』
『じゃあお言葉に甘えて。わざわざ電話くれてありがとうね。さっそくコラボの件なんだけど、もう会社には連絡入れて許可をもらってあるの。あとは日程と場所さえ決めればいいだけなんだけど、その打ち合わせのために一度直接会って話したいんだけどゆきさんはどこら辺に住んでるのかな?』
『さすが仕事が早いですね、もうそこまで話が進んでるとは思いませんでした。今住んでいるのはS県のK市です』
『あら、隣の市だわ。けっこう近いね。じゃあ明日T駅まで出てこれない?そこならお互いに交通手段も不便じゃないし』
『そこならうちから電車一本で行けますね。明日は一日空いてるので大丈夫ですよ。時間はお任せします』
みんなのご飯は事前に作っておけばいいし、何時になっても大丈夫だろう。
『それじゃ明日の13時でも大丈夫かな。改札を出て右の道路に出るとファミレスがあるんだけどそこで待ち合わせでどうかな?わたしが先に着いたら彩坂で席をとっておくね。ゆきさんが先に着いたらなんて名前で呼びだしたらいいのかな?』
きらりさんがハンドルネームで予約しているのだからこちらもそうする方がいいかな。
『13時で大丈夫です。わたしは一ノ瀬で予約することにしますね』
『一ノ瀬……雪……?あの?』
小声でボソボソ言ってるからよく聞こえないけどバレたかな?一ノ瀬雪はわたしが子役時代、ピーノちゃんをやっていたころの芸名だ。
ピーノちゃんの名前の方が有名で芸名の方はそこまで知名度はないはずだけど知ってる人は知っているだろう。
今更だけどわたしのチャンネル名、安直すぎたかな?まぁ学校でもバレてないし、きらりさんにならバレても言いふらしたりなんてことはしないから問題ないだろう。
『まぁいいや。うふふ、男の子と二人きりでなんてまるでデートだね』
『デ……!もうからかわないでくださいよ』
こちとら生まれてこのかた女の子とデートなんて一度もしたことがない。そんなことを言われたら意識して思わず赤面してしまう。
『あは、冗談冗談。今からもう明日が楽しみ。それじゃ明日13時にT駅前のファミレスでってことでよろしくね!』
『こちらこそものすごく楽しみです!よろしくお願いしますね!』
そうして通話終了。通話してるうちにけっこう時間がたってしまったのでみんなもう部屋に戻ってるだろうし、出かける報告は明日の朝でいいか。
リビングに戻ると両親はすでに帰ってきて晩御飯も自分たちで用意していたので、明日は出かけることだけを報告してわたしはそのままお風呂に入って明日の準備をすることにした。
初めて会うわけだし男の子らしい恰好をしたほうがいいか、いつも通りかわいい恰好をした方がいいか悩んだけど、どのみちこれから最低でも何度かは会うわけだからいつものコーディネートでいいか。
ということでちょっと気合を入れたガーリーな服で完全武装。
そして夏休みも半分以上が過ぎた盆明けの頃、わたしの体にもうひとつの異変が起きた。 なんと声がでなくなってしまったのだ。 完全に出ないというわけではない。 でも風邪でもひいたかのようなかすれ声。ただ他には症状が何もなく、熱があるわけでも咳が出るわけでもない。 ただ単にのどがいがらっぽく声が出にくくて、無理に出そうとするとかすれてしまうというだけの症状。 不調はどこにもないからのど飴でも舐めていればそのうちよくなるだろうと高をくくっていたら症状が数日続いてしまい、動画投稿ができないという事態になってしまったのでさすがに病院へ行くことにした。「あー声変わりですね」「へ?」「だから声変わり。中学2年生だよね?たいてい身長が急激に伸びた後に声変わりすることが多いんだけどね。その様子からするともう身長の方は頭打ちかもしれないね」 わたしにとって衝撃的なことを告げ、人の気も知らず朗らかに笑う医師。 このことは2つの意味でショックだった。 まず、声変わりして今までのような声が出なくなったらどうしようというショック。 ただこれに関してはいずれ起きうることと想定していたので、変わってしまった声質に合わせた曲を作ればいいだけなので対処のしようはある。 今までの声が好評だったので声変わりをして人気が落ちてしまったらどうしようかという不安はあるけどこればっかりはどうしようもない。 男性の声質に合わせたボイトレを勉強しなおさないとな……。 声のことはそれでいいとして、それ以上にショックだったのが身長の件だ。 これ以上伸びない!?夏休み前の身体測定で2cm伸びて155cmとなりまだまだ可能性はあると喜んでいたのに! 160にも届いていない現状でまさかの最後通告をされてしまうなんて……。 ショックから立ち直れないまま家に帰ると、みんな心配してくれていたようで全員揃ってお出迎えしてくれた。そして沈んだ表情のわたしを見てみんな大
チャンネル登録者100万人突破という目標を達成してとりあえずVtuber活動にも一区切りがつき、時間的にも余裕ができていたのを目ざとく察知したひより。 お兄ちゃん大好きを公言するひよりがそのチャンスを逃すはずもなく、どこかに遊びに行こうとせがまれた。 スケジュールにも空きがあるので遊びに行くこと自体はいいんだけど、問題は提案されたその行先。 せっかく夏なんだから海に行きたいと声を揃えて提案されたものの断固拒否。 あまりにも強く拒否をしたものだから、理由をしつこく問いただされてしまう。 恥ずかしいから言いたくなかったんだけど、さすがに誘いを拒否したうえに黙秘と言うわけにもいかず渋々理由を告げると全員に大爆笑されてしまった。 笑い事じゃなく本気で恥ずかしいんだからね! その理由はさらに胸が大きくなってしまったというわたしにとっての衝撃的事実。前に買ってもらったブラがかなりきつくなっていたのだ。 そんなことなかなか言い出せず黙って苦しい思いに耐えていたんだけど、姉妹たちに自白したらさっそく新しいものに買い替えるためにもサイズを測りに行こうという話に。 案の定Cカップにサイズアップ。まぁわかってはいたんだけど……。 そして当然のごとく選ばれるフリフリの付いた下着たち。あぁまた女体化が進行してしまう……。 さらに成長してしまった胸をひっさげて人の多く集まる海やプールにおもむいて衆目にさらすことに対しどうしても恥ずかしさを拭うことができないので、今年はわたし抜きで行ってくれるようお願いした。 でもわたしがいないとつまんないという理由で結局今年は誰も泳ぎに行かなかった。4人で行ってくればいいのにと思ったけど、わたしがいないところでナンパ男にちょっかい出されるのも不快だから結果的にはよかったかな。 その代わり少しでも涼しいところへ遊びに行こうということで水族館巡りをすることに。 近場の水族館に行った後、ジンベエザメを見たいということで関西まで遠征したりもした。 楽しかったけどよく考え
忘れていた。というより忘れたままにして何事もないように過ごしていたかった。 だけどそういうわけにもいかず、とうとうその日を迎えることになってしまう。 プール開き。 来週からいよいよプール授業が始まる。どこの学校にもある行事だろう。 楽しみにしていたという生徒も多い。 無料でプールに入って涼めるのだから日本の暑い夏を過ごすのにこれほどありがたい授業は他にないだろうとも思う。 だけどそれはあくまで一般生徒にとってのお話。いや、わたしも一般生徒だけれども。 ただわたしには決して忘れてはいけない特殊な事情がある。 この無駄に膨らんだ胸だ。 どうすんだよ、水着。 もちろん男子と同じ下だけというわけにはいかない。 かといって女子用のスクール水着だと股間が大変なことになってしまう。 いっそのことずっと見学ということにしてもらおうかと思ったが、ズルをしているみたいで心情的にイヤだし、クソ暑い中水遊びに興じるクラスメートをただ眺めているだけというのもなかなかに拷問チックな絵面。 学校には校則と言うものがあるので、より姉が主張するように好きな水着を一人だけ着させてもらうというわけにもいかないだろう。 というわけで担任の瑞穂先生に相談しているのだけど、なかなか妙案と言うのは浮かばない。 職員室のパソコンで水着を検索しているのだけど出てくるのはより姉が見たら喜びそうなかわいいものばかり。『学校 水着』で検索すれば出てくるのはスクール水着のみ。これもう詰んでない? ちょうどその時、2年生の体育を担当している船越清美先生が授業を終えて帰ってきた。「瑞穂先生に広沢さん、2人揃ってパソコンにかじりついてどうしたの?」「広沢さんの水着を探しているのよ。ほらこの子、男の子なのに胸が出てきちゃったでしょ?それで学校指定の水着では男女どちらのものを着ても問題があって……」 さすがに職員室の中なのでバストや股間と言ったセンシティブな単語は避けて話してくれてはいるけど、自分の
翌日、週初めの学校では彩坂きらり×YUKIコラボの話題で持ちきりだった。「すごくよかったよね!」「歌も当然だけど2人の掛け合いも息が合っていて面白かった」「ほんとあの2人の歌唱力は抜群だよね」「プロの中でもあの2人より上手い人なんてなかなかいないんじゃないか」聞こえてくるのは好評の声ばかり。少し面映ゆい。「あの2人と同じくらい歌が上手いプロって言えば岸川琴音くらいじゃない?」 その名前を聞いて思わず体がピクリと反応してしまった。幸い誰にも気づかれていなかったけど、懐かしい名前を聞いたもんだ。 岸川琴音。ピーノちゃんの名前が売れすぎて陰に隠れてしまっていたけど、2人で踊るふわふわダンスの相方だった人。 わたしが引退した後は子役から歌手に転向し、今では押しも押されもせぬトップアイドルの歌姫。歌だけじゃなくダンスのセンスもあるのだけど、「ダンスはピーノちゃんとしか踊りません」と封印してしまい今はその抜群の歌唱力のみで歌姫として芸能界に君臨している。「怒ってるんだろうな」 もともと引っ込み思案で子役たちの中でも目立たない存在だった琴音ちゃん。ピーノちゃんの番組が始まるときに「この人と歌いたい」と言って歌の世界に引きずり込んだのは他ならぬわたしだ。 その張本人が突然理由も告げずにいなくなってしまったのだから残された琴音ちゃんには恨まれて当然だろう。 わたしが素顔の露出を躊躇してしまうもうひとつの理由であったりもする。 でも逃げ回っていても仕方ないし、不義理をしたままなのもイヤだ。来年素顔を出したときにはこちらから連絡を取って素直に謝ろう。 連絡先知らんけど。 今はまだVtuberとして素顔を隠しているので、子役のこと含め正体を明かすわけにはいかないけど、これも素顔をさらすときに覚悟しておかないといけない課題のひとつか。「ゆきも岸川琴音は知ってるでしょ?」 ふいに穂香が話題を振ってきた。今まさに考えていたことを突然降られて少し動揺してしまったけど、気持ちを落ち着けて何食わぬ顔で返答する。「もちろん、日本の歌姫って呼ばれてる
午前中は別の用事で潰れてしまったけど、午後からいよいよ家族そろっての東京観光だ。 まず、東京に来たらここでしょうとばかりに向かうはスカイツリー。新しくできた東京のランドマークと言うことでやっぱり人が多い。人ごみをかき分けるようにして展望台の中でも一番見晴らしがいい場所までたどりついた。「おぉ、たけー」 ……だよね、それ以外に感想なんて浮かばないし。 夜景とかだったらキレイーとかあったかも知れないけど、残念なことに時間は昼でしかも天候もくもりだったのでそんなに遠くの景色まで見えない。富士山も見えない。 それにしても感想が「高い」だけというのも少し感性が低いのかなって不安になる。歌い手には感性が命なのに!「おーたっけーな」「うん、高い」「ほかに感想は出てこないんですか」 どうやらみんな似たようなもんらしい。ちょっと安心。 いつも元気なひよりはというと、実は高所恐怖症で展望台の中心部分から一歩も動かず決して端によろうとしない。「こっちおいでよ」と言って誘うと野生動物のように威嚇してくるくらいだから余程怖いんだろう。エレベーターで上がってくるときも目をつぶって何やらブツブツ念仏みたいなのを唱えてたもんな。 でもこうやって何も考えずに景色を眺めるのもたまにはいいかもしれない。 普段は朝からご飯を作ってそれから学校に行き、部活が終わって家に帰るとまた晩御飯を作って食事が終わったら少しの時間家族と会話してそのままスタジオにこもって曲の収録やらダンスの練習をして収録、動画投稿。終わったら後はお風呂に入って宿題をやって眠るだけ。 休日も3食作る以外はスタジオにこもりきりと言っていい状態。 そんな有様だからこうやってゆっくり何もしない時間を楽しむというのも久しぶりの事だ。 これはこれでリフレッシュになるだろうから、これからは意識して何もしない時間と言うのを作っていった方がいいかもしれない。 人間何かに忙殺されてしまうと視野も狭くなってしまうしね。そういえば最近は星空もゆっくり眺めることができていないな。 スカイツリーから出てくるとひよりも復活して、これからが本番だと張り切っているので何をするのかと思いきやショッピング。「ここからはゆきちゃんが主役だよ~」 ひよりの言う通り家族がそろい、そこにわたしもいるということはいつもやることが決まっている
配信が21時開始のため終わった時点ではもうすっかり夜更け。手早く後片付けをしてホテルに戻ろうと準備していたらきらりさんから声をかけられた。「タクシーを手配したから一緒にどうぞ」 同じホテルに帰るのに断るのはあまりに他人行儀すぎると思い、お言葉に甘えて同乗させてもらうことにした。 帰りの車中、今日の感想など語り合いながら楽しく過ごしていたのに、ホテルが近づくにつれ口数が少なくなっていくきらりさん。「さすがにもう眠くなってきましたか?」 疲れたのかなと思ってそう尋ねると、微笑みながら首を横に振る。でもその笑顔は曇っていた。「今日はね、Vtuberをやりだしてから初めて!ってくらい本当に楽しかったの。それがもう終わっちゃったんだと思うとなんだか寂しくなってきちゃって」 そこまで楽しんでくれていたなんて!嬉しさに心が躍る。 同時にきらりさんの表情から、そんな楽しい時間が終わってしまったという寂寥感が感染してわたしの胸にも寂しさが湧き上がる。 でも、わたしときらりさんにはきっとこういう湿っぽい空気と言うのは似合わない。リスナーさんたちならそう思うはず。「祭りの後というのはどうしても寂しくなってしまいますよね。でも今日で終わりってわけじゃないですよ!今日もとっても好評だったしまたコラボしましょうよ。なんならリスナーさんから【またかよ】って言われるまで何度もやったっていいじゃないですか!」 そう言って笑いかけると、目にいっぱい涙を浮かべながら服の裾をつかんできた。「本当!?また一緒にやってくれる?これで終わりじゃない?またわたしと会ってくれる?」 う……そんな期待に満ちた目ですがりつかれると……。かわいい……。6歳年上なのにまるで少女のような顔で迫られてドキドキしてしまう。「も、もちろんですよ!またきらりさんと一緒に歌いたいし、今日みたいに楽しい時間を過ごせるのはこちらとしても大歓迎ですよ」 少しでも安心してもらえるようとびっきりの笑顔を向けると、ようやくきらりさんの顔に笑顔が戻ってきた。 車中は暗いからよく見えないけど心なしか顔が赤いような?「歌だけかぁ……わたしはそんなの関係なしにいつでもゆきさんに会いたいのに……」 ごにょごにょと聞こえないように言ったつもりなのだろうけど、タクシー内は思いのほか静かでしっかりと聞こえてしまった。 え